不安はどこから来るのか(2)不安が学習される?
- 市川里美
- 1月15日
- 読了時間: 3分
不安の感覚は、いつのまにか起きるように思えても、生起点はあります。この生起点が、はっきりと自分でわかるものもあるし、わからないものもある。後者では、「なんだかわからないけれど不安になった」ということになり、「いつも不安に感じる」という感覚ももたらします。
不安の生起点は、「何かを見た」「聞いた」といったことや、以前不安になった時と同じ場面、状況などで自覚されることが多いでしょう。嗅覚、触覚などの生体感覚も生起点になりえますが、これは意識していないと見逃してしまいやすいものかもしれません。自覚できていれば、どうして不安になっているのかが見えやすく、どう対処すればよいかも掴みやすくなります。
テレビでのある女性芸能人が話していたエピソードですが、幼い頃貧しい環境で育った彼女は、親も仕事で不在、ケーキやプレゼントもない寂しいクリスマスを過ごしたといいます。そして、いま50代になって、友だちもおり、ケーキもあり、プレゼントもあり、寂しいはずはないのに、クリスマスにはあの寂しい感覚が起こる、と。今は寂しくないと自分でもわかっているけれど、「クリスマス」という刺激によってその当時の感覚が蘇っているようです。それを本人も自覚しており、不安の生起点がはっきりしています。どうして自分が不安になるのかが理解できているといえるかもしれません。そうであれば、対処することもできるでしょう。
このように、ある刺激から不安が生起するということは、不安感情の「学習」が生じているといえるのです。「学習」というと、学校の勉強、漢字練習や計算ドリルを思い起こされることもあるかもしれませんが、心理学における「学習」とは、経験による比較的永続的な行動の変化、行動の可能性の変化のことを言います。先の芸能人の話でいえば、幼少期のクリスマスにその感情が起きたこと(経験)で、同じ状況下でその感情が生起しやすくなるということが学習されたといえます。その流れが神経に刻み込まれた。
こんな話も聞いたことがあります。一歳のお子さんを持つママはストレス解消に運動しようとジムに通うことにしました。託児所もあるジムで、一歳の子どもを預ける運動するのですが、その子はママから離れるのを嫌がり激しく泣きました。慣れるまでと思い何度か通いましたが、子どもがあまりにも泣き叫ぶので、ジム通いはすぐにやめたとのこと。子どもが3歳くらいになった頃、そのジムのそばを通った時その子は「ここに来ると、なんだかドキドキする」と話、そのママは、「あの時のことだ」と思ったそうです。1歳だったその子にはそのジムに通ったという記憶はないと思いますが、その場所が不安を生起するという学習が生じ、3歳になってもその不安が生起したと考えられます。この場合、その子の表現するように「なんだか」となり、理由はわからないし、その感情がどういうものであるのかもよくわからないということになります。
胎内にいるときも、こういった学習は起こりうるのだろうと考えます。そうなると、本人には学習の記憶はありません。不安の生起点は自覚できるかもしれませんが、その理由もその感情の意味もわからず、「なんだかわからないけれど、不安になる」ということになります。
どうして不安になるのか、この気持ちはなんであるのか、を探って理解することが心を安定させることにつながります。心の奥にあるものを探るという心理カウンセリングのあり方の理由はここにあります。
今回は学習による不安について書きました。次回も不安はどこから来るのか?について書きたいと思います。
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